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2013年11月27日 (水)

京都に行くことをなぜ上洛というのか

地方から東京に向かうことを「上京」と言いますが、京都に向かうときに使われるのは「上洛」です。 しかし、なぜ京都に行くのに「洛」という文字が使われるのでしょうか? 
 
今までは疑問にも思わずになんとなく使っていましたが、今回の「上洛」を機に、調べてみました。
 
この疑問を解くには、平安京の造営を知らねばなりません。
 
Photo

平安京は、中国の都城制を模倣して造られた都市です。
平安京の南北を貫く朱雀大路(現:千本通りあたり)の東側に左京西側に右京が造られました。
 
北を上にした地図で見ると、右側が左京で左側が右京になるのでややこしや。おそらく大内裏から南側を見て左右を決めたのでしょう。
 
池袋駅の東口に西武鉄道があり、西口に東武鉄道があるのと同じことか・・・違うなbleah
 
左右それぞれの町並みは、唐の長安洛陽がモデルとなっています。
そのため、左京が洛陽城右京が長安城と呼ばれていました。
 
ところが、湿地だった右京は住居地に適していなかったため、次第に荒廃していきます。
左京は貴族達の邸宅が立ち並び発展し、実質的に洛陽(左京)のみが都市として機能する事となります。

これは左京に多くの観光地が存在することでもお分かりだと思います。現在では鴨川を超えて東山の麓まで広がっていますが。
 
この事から京都は別の呼び方で、洛陽とも呼ばれようになりました。
そのため、洛陽(京都)に上がる事を、上洛と言うようになったのです。
 
付け加えると、地図を見ておわかりのように、"東寺"の西側には、"当時は"西寺もあったのですが、現在では東寺しか残っていません。
 
洛中、洛外
 
天正19年(1591)に関白秀吉は荒廃後の京の新しい町づくりに着手し、京の町全体を囲むように、御土居(おどい)とよばれる土塁の壁を作りました。
現在では北野天満宮にその名残を見ることができます。

御土居の内側が
洛中、外側は洛外と区分けし、数カ所の関所を設けて洛外から入ってくる者を検分しました、町中で「荒神口」、「粟田口」、「丹波口」など、「口」の付く地名は関所のあった名残です。
 
明確な定義はないようですが、北は北大路通から南は九条通まで、東は高野川・鴨川から、西は西大路通までの地域を『洛中』と言うようです。

これで長年の疑問が解けました。

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