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2015年3月

2015年3月29日 (日)

面白サイト~鉄道Now

以前、「全世界の航空機の現在飛行位置を表示するサイト」を紹介しましたが、

「日本全国の鉄道(地下鉄も)の走行地点をGoogle Map上に表示するサイト」もあります。

計画時刻がもとなのでリアルな位置ではありませんが、時々刻々電車の位置が変わるので楽しめます。電車の種類毎にアイコンも異なっています。特定電車を追尾することもできます。
 
Now
 
写真は東京駅周辺のスナップショットですが、最小縮尺がこの程度なので、全体を俯瞰することができないのは残念。
 
もっと欲を言えば列車名(列車番号)も表示してくれれば最高なのですが。

2015年3月28日 (土)

田子の浦、三保の松原、三嶋大社

昨日(3/27)は日帰りバスツアーに参加。

【生シラス&桜エビ 田子の浦漁港を特別貸切!
三嶋大社のしだれ桜と世界遺産・三保の松原も!】
 
 

東海随一の神格と言われる三嶋大社のしだれ桜は5分咲き程度でしたが、あでやかですね。
 

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昼食代わりの「田子の浦漁港のお振舞い」は、いろんなものを少しずつ立食パーティー(つまり立ち食い)でいただくというもの。シラスが不漁で冷凍ものだったのは残念。

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田子の浦漁港からの富士山

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三保の松原。55年ぶりの訪問。
 

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この時期に一日中雲がない富士山が眺められたのは幸運でした。

由比宿では桜エビのバラかき揚も食べたし、B級グルメには最適なツアー!(^^)!

2015年3月26日 (木)

世田谷美術館の「東宝スタジオ展」

昨日(3/24)は、映画好きの友人と世田谷美術館で開催中の
「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」 
を観賞。

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世田谷美術館は広大な砧(きぬた)公園の中にあり、ユニークな企画を行う事で定評があります。おそらく4回目の訪問。東宝スタジオも砧公園の近くにあります。

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エントランスホールでは東京を破壊中のゴジラがお出迎え。
実際に使用したセットだそうです。
 

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しかしビルの大きさに比して戦車がデカいぞ。

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メインは「ゴジラ」と「七人の侍」に関する貴重な資料の展示で、他の東宝映画に関する展示も充実していますが、資料の展示が多いので博物館的な印象を持ちました。
1時間40分滞在しましたが、じっくり見るとそれでも時間が足りないですね。

いや〜、(昔の)映画ってほんとにいいものですね〜。

昼食は、併設レストラン「ル・ジャルダン」で一番手ごろな(つまり安価な)平日限定ランチコース。

レストランに続く長い廊下

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豆のスープとメイン(ポークソテー)、パンorライス、コーヒーor紅茶。

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在職中は休日にしか行けなかったので、いつも行列しているので入店をあきらめていましたが、今回初めて食べることができました。店名のとおり庭に面しているので気持ちがよいレストランですが、味はフツーかな。

砧公園の桜はまだ蕾でしたが、隣接する大蔵運動公園の桜(品種は?)は見頃でした。

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この後、岡本民家園で珍しい「赤花三椏」(前回の日記)を発見したのです。

2015年3月25日 (水)

アカバナミツマタ:赤花三椏

アカバナミツマタ:赤花三椏】 Red Paper Bush.

 
昨日(3/24)、世田谷区・岡本民家園に行ったら、見慣れない花を見つけました。
 
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和紙の原料になる三椏(みつまた)です。
 
枝が必ず三つに分岐する特徴があるためこの名があります。
花が咲いているのは初めて見ました(花の名を知らずに見たことはあるかも)。
 
普通の黄色い花【三椏】は散っていましたが、赤い花の方【赤花三椏】は盛りでした。
 
古民家に似合いますね。
 
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2015年3月23日 (月)

笑える写真☆看板編 第四弾

友人がご近所や旅先で撮影した面白看板(第四弾)を公開します。

 
① 確かに鶏のほうが辛いでしょうね
 
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② ユニクロがそば屋を? ん、な訳ないか。
 
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③ 自虐宣伝ですが、これでは入る気が失せるなあ。
 
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④ 思わず入ってしまいそう
 
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⑤ いかがわしそうな店ですなあ・・・
 
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⑥ 「ちゅうたろう」。微笑ましいネーミングですが、ねずみというよりは熊だなあ・・・
 
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⑦ その名の通り、故いかりや長介さんの弟さんの経営だそうです。
 開店時間は8時。入店するときは「オイッスー」と言わないといけないそうです←これは嘘
 
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⑧ 威勢がいい看板ですが、韓国人から嫌われそう。
 
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⑨ 八王子のキャラクター大使という事です。
 
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⑩ ちょっと露骨な店名
 
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今回はすべて八王子市内。
 
皆さんも探してみてはどうでしょうか?

2015年3月22日 (日)

深川〜千住ウォーキング〜その5 【奥の細道・千住論争】

【3.11 深川〜千住ウォーキング】〜その5【奥の細道・千住論争】 
 
松尾芭蕉は深川から舟に乗り"千住"に上陸し、「矢立の初」として"千住"で句を詠んでます。

行く春や 鳥啼き魚の 目は泪

"千住"からいよいよ陸路による「奥の細道」への旅立ちですが、数年前から足立区と荒川区による論争が起っています。

"千住"には隅田川を挟んで旧江戸府内の「荒川区の南千住」旧武蔵国の「足立区の北千住」があります。両者をつなぐのが千住大橋。

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芭蕉は今でいう「南千住」と「北千住」、どちら側から出発したのか、という論争です。

「北千住」の言い分。

「千住」とは「千住宿」のことで、現在の北千住のことである。南千住は江戸府内であるから「宿場」ではなかった。また、当時の「船着き場」は北千住側にあった。であるから、芭蕉一行は北千住側に上陸し、そのまま「日光街道」へ旅立ったのである。

「南千住」の言い分。

南千住は「江戸」だが北千住は「江戸」ではなく「武蔵の国」。芭蕉は江戸を出て、みちのくへ旅立ったのだから、南千住側に上陸し、千住大橋を渡ってから旅立ったのである。

言うだけなら何でも言えます、それでは物的証拠(史跡)はどうか

◆北千住には矢立て初めの碑や芭蕉像があり、奥の細道テラスなるものもあります。しかし、これらは最近作られたものであり、江戸時代から残っている「芭蕉の史跡」はありません。

・千住大橋の北千住側にある奥の細道テラス

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・千住大橋の北千住側の矢立初めの碑
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・北千住側にある芭蕉像
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◆対して、南千住の「素戔嗚神社」には、江戸時代の文政2(1820)年に「芭蕉句碑」が建てられ、「奥の細道の千住の章」の文章が刻まれています。

 
・素戔嗚神社
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・素戔嗚神社境内にある隅田川と大橋の模型。芭蕉は南千住側に居ます。
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 芭蕉の独り言
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・「芭蕉句碑」←南千住論の大きな証拠
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◆第三者的に見ればどちらでもいい論争で、答えは出ないと思いますが、本気でバトルをしているというよりも、論争を演出して「街おこし」に上手く利用してる感じがしないこともないですね。
  
O塚家具も論争により株価が上がっていますし、関係ないか・・・
 
◆私の考え
「奥の細道」と、同行した曾良の「旅日記」には日付の違いが見られますが、3月20日に深川から舟に乗り同日に"千住"に到着。千住に6日間滞在した後の3月27日に"千住"を出発した、のが定説になっているようです。
 
「奥の細道」では、「千住というところで舟をあがり」と記載されているので、上陸地点は北千住側でしょう。旅立ちの儀式としては江戸府内から千住大橋を渡って出発した方が様になるので、出発地点は南千住と言う事で両者痛み分けの引き分けとしましょう(笑)

2015年3月19日 (木)

深川~千住ウォーキング~その4 【隅田川の橋】

【3.11 深川~千住ウォーキング】~その4 【隅田川の橋】 
 
引き続き橋の話題です。

「萬年橋」近くの芭蕉庵(後日掲載)からは、ほぼ隅田川の左岸(浅草では右岸)に沿って隅田川遊歩道(隅田川テラス)を白髭橋まで北上。
 
・両国橋 

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1657年の明暦の大火後に架橋(1659年または1661年)。武蔵国内にありますが、1686年に国境が変更されるまでは下総国との国境にあったので、俗に両国橋と呼ばれ、国境変更後もそう呼ばれています。

現在の橋は何の変哲もありませんが、先代の鉄の橋桁は近くの高橋(たかばし)に移設されて現存しています。


高橋(たかばし) ※ネットから転載
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蔵前橋に向かう隅田川テラスの護岸には、このあたりに因んだ浮世絵がたくさん展示されていて飽きません。

この浮世絵には両国橋が描かれています。
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国技館が近いので相撲の決まり手を現した手摺も見られます。

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厩(うまや)橋には馬の模様の手摺あり。

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駒形橋で浅草に渡り、会津蕎麦の昼食。

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言問(こととい)橋上では、司馬江漢の蘭画「三囲景図」を見ながらどこで描かれたのかを皆で推理。

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真正面にスカイツリーが。
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・もちろん長命寺のさくら餅を土産に購入。

桜の葉が3枚も使われています。餅は桜色ではありません。
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白髭(しらひげ)橋から見たスカイツリーは広々として気持ちが良い眺め。

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・白髭橋を渡った後は由緒ある石浜神社を詣で、隅田川から離れて小塚原刑場跡を通って千住へ。

・ようやく17時過ぎに目的地近くの千住大橋を渡り終えました。

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江戸開府時は戦略上、隅田川には日光街道の(千住)大橋しか架橋されていませんでした。
よって「大橋」といえば、千住大橋だったのです。
  
芭蕉も深川から乗った舟をここで降りて、奥の細道の旅に出発しました。

次回はいよいよ芭蕉編

2015年3月16日 (月)

深川~千住ウォーキング その3 【清洲橋と萬年橋】

【3.11 深川~千住ウォーキング】~その3【清洲橋と萬年橋】 

今回は深川から隅田川沿いを歩いたので多くの橋に出会いました。
 

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隅田川に架かる橋で一番美しいのは「清洲(きよす)橋」でしょう。両岸の町名、"清"住町と中"洲"町から採られました。1928年完成。
 
・下記「ケルンの眺め」の碑の近くより清洲橋 

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清洲橋は、日本で唯一の自碇式チェーン吊り橋で、当時美しいと評判だったドイツ・ケルンの「ヒンデンブルグ橋」をモデルにしています。この橋は戦争中に破壊されて今は架け替えられ、吊り橋ではありません。当時の写真を見ると、なるほど似ています。

・在りし日の「ヒンデンブルグ橋」 ※ネットより転載

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清洲橋は、小名木に架かる「萬年橋」の北側から眺めるのが最高に美しいと言う事で、「ケルンの眺め」という碑があります。
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ケルン(Köln)はローマ帝国によって植民市として建設されたライン川中流の町で、ケルンの名はラテン語で植民市を意味する Colonia に由来し、英語のコロニー(植民地)も同源です。因みに、香水のオーデコロン (eau de Cologne) は、フランス語で「ケルンの水」の意。ケルンで世界で最初に製造販売されたからです。
 
・萬年橋 
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「萬年橋」は葛飾北斎の「冨獄三十六景」・「深川萬年橋下」にこの橋と富士山が描かれています。
 
・浮世絵「深川萬年橋下」 ※ネットより転載
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手前の川は小名木川。正面の岸壁の左右に流れるのが隅田川。富士山が見えます。火の見櫓のようなものはなんでしょうか?タモリに聞いてみましょうか(笑)
当時は清洲橋は存在していません。
 
萬年橋を渡る前に、「鶴歩(かくほ)橋」と「亀久橋」を渡って来たので、「鶴は千年、亀は萬年」を意図しているのかな?
 
・鶴歩(かくほ)橋 
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・亀久橋 
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話が広がり過ぎたので、今回はここまで。

2015年3月15日 (日)

深川~千住ウォーキング その2 【墓マイラー】

街歩きの途中で著名人が眠るお墓にお参りして、その人の偉業を偲ぶ人たちを「墓マイラー」といいます。
私も海外旅行では芸術家(特に音楽家)のお墓をお参りするのを趣味としています。

今回のウォーキングでも江戸時代の偉人たちのお墓をお参りしてきました。

①間宮林蔵の墓(江東区平野)。 

 

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お寺の境内ではなくお墓だけが独立してあります。
伊能忠敬に測量術を学び、樺太探検(間宮海峡)で有名。深川蛤町の家で没。奇しくも師弟が深川に縁があったのですね。
生地のつくば市にもお墓があります。

②紀伊国屋文左衛門の墓(江東区三好、成等院)。

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紀州出身の江戸の材木豪商。晩年に深川門前仲町に住んでいた。
略して「紀文」とも言われますが、蒲鉾の「紀文」とは関係があるのかな?

③老中・松平定信の墓(江東区白河、霊巌寺)。国指定史跡。

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彼の寛政の改革は完成したのでしょうか? 非難止まない(1787年)寛政の改革と覚えた記憶があります。

④平賀源内の墓(台東区橋場)。国指定史跡。

歩行中に偶然発見。

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立派な築地塀に囲まれた単独のお墓。

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・墓標

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エレキテル復元製作などで有名な江戸中期の一風変わった発明家。晩年に殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で獄死。哀れに思った友人の杉田玄白が遺体を引き取り、当地の総泉寺に葬られたましたが、寺の移転後も墓だけが残されたそうです。
 
墓参りは歴史のお勉強にもなりますね。
 
このほかにも多くの方のお墓がありましたが、画面の都合で割愛します。

2015年3月13日 (金)

深川~千住ウォーキング その1 【旅立ち】

3月11日に、大学時代の友人達2人(計3人)と「旅」をテーマにウォーキング
深川・門前仲町から隅田川沿いを北上して北千住まで歩きました。
 

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松尾芭蕉の「奥の細道」の旅立ちのコース(深川・芭蕉庵から千住宿まで)をメインテーマとして歩こうという趣向です。ちなみに芭蕉はこの区間は隅田川を船で北上して千住大橋付近で上陸しています。
 
計画上の移動距離は約16Kmでしたが、実際に歩いたのは約18Km、歩数は自宅の往復を除くと32000歩。
 

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記録に残っている3万歩越えは、2006年のウィーンと2007年の京都以来過去3度目。
 
丁度東日本大震災から4年目の日だったので、訪問した寺社では震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしてきました。
 
◇その1 【旅立ち】 
 
ウォーキングの集合場所は成田山東京別院・深川不動尊。深川には縁があるので、新車購入時の交通安全祈願のお祓いはいつもここで行っています。東日本大震災の犠牲者の方々のためにお祈りをしてきました。
 

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すぐ東隣の富岡八幡宮には、2001年に建てられた近代日本地図の祖である伊能忠敬の銅像があります。
 

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忠敬は私が尊敬する偉人の一人。忠敬は近くの黒江町(門前仲町1丁目)に隠宅を構えていましたが、寛政12(西暦1800)年閏4月19日の早朝に富岡八幡宮に参拝して暇夷地測量の旅に出かけたのです。
 

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銅像は、大きな黒御影石に刻まれた伊能日本図を背に、55歳の忠敬が杖先方位盤を手に力強く測量への第一歩を踏み出した姿です。ウォーキングの出発場所としては、ここ以上の場所はありませんね。
 

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富岡八幡宮は深川八幡とも呼ばれ古くから親しまれている神社で、大相撲発祥の地としても知られています。写真を紹介すると収まりがつかなくなるので、今回は「旅」のテーマにそった写真だけを掲載します。

その2に続く。

2015年3月12日 (木)

我が家の梅がやっと開花

陽があまり当たらないので、遅咲きの拙宅の梅ですが、数日前から花が咲き始めました。
 
 
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今年も梅の実は豊作かな?

2015年3月10日 (火)

おもろい交通標語の立て看板

3年ほど前に宮城県(石巻と女川)で見かけた交通標語の立て看板。

 
「キョロキョロするな、美人はいない」 
 
「スピード落とせ、美人がいるぞ」
 
相反する標語ですが、ユーモアあふれる立て看板。
 
公的機関が設置したものではないようですが、セクハラに厳しいこのご時世、今もあるのかな?

2015年3月 9日 (月)

タイ人向けグルメ・ツアー

先日(3月6日)、10年ぶりに日本に観光に来たタイ人(タイの工場で日本語通訳をしていた女性。現在はバンコクの某社で社員教育係)をグルメツアーに連れて行きました。
 
9時に築地のホテルにお出迎え。
まず、築地場内市場の鮨屋でちらし鮨。
人気店は1時間以上待つので、比較的行列が少ない店に並ぶ。外国人多し。
 

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9時20分から並んでお店に入ったのが10時過ぎ。
しかし看板と出てきた丼の差に愕然。
 

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この価格でこの丼(中トロ、ウニ、中オチ丼)ならフツーの鮨屋で食えるぞ。dash
それに行列客を整理する店員の態度が乱暴で怖すぎるpout

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タイ人はズワイ蟹丼を注文したが、こちらは看板に近かったかな(写真なし)。
 
築地場外市場をぶらついて、浅草へ。
買物の後、雷門の前にある台東区立の浅草文化観光センター屋上展望台へ。
 

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なにかと話題になった観光施設だが、8階(無料)からの眺望はすばらしい。
 
仲見世から浅草寺までを上から眺められるのはここだけ。

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スカイツリーやう○こビルも。

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続いて人形町に移動し、人形町今半ですき焼き
浅草今半はお座敷が高いのでsad
 
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2階のお座敷で
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一番お手軽価格のお昼のすき焼き。
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すき焼きは仲居さんが調理してくれるが、調理のスピードと食べるスピードがうまくシンクロしない。鍋奉行の特権を人に渡してはいけない(笑)
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第一便は肉だけ。
これは第二便のお皿。筍や菜の花がおいしい。
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第三便まであって、最終便は玉子丼。お腹いっぱい。
 
ジブリが見たいというので、武蔵小金井の江戸東京たてもの館で開催されている、ジブリ立体建造物展に。
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たてもの館に着いたのが15時50分。3月末までは閉館時間が冬時間の16時30分ということで、大急ぎで観たが、3月は日も長くなっているのだから早くとも17時閉館にしてほしい。お役所仕事はこれだから困る。
 
また都内に戻り、田町のタイ料理店 でタイ料理の晩餐会。
日本人だけだったら注文はしないであろうメニューを注文してくれた。まさにタイの味である。
本場の料理店より美味しいと言ってくれた。
 
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タイ風えび天。衣がカリカリしていて美味しい。
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パクチーなど香味野菜ときのこスープ。タイの味だ!
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築地のホテルに送ってから帰宅。
 
とにかく歩いた(24000歩)が、それ以上に食い過ぎたwobbly

2015年3月 8日 (日)

被災地(福島)応援ツアー~喜多方ラーメン工場

『被災地(福島)応援ツアー』 その6【喜多方ラーメン工場の見学】。 
 
会津若松では鶴ヶ城や飯盛山の他に「宮泉酒造」の酒蔵で日本酒作りの見学と試飲、柏屋で薄皮饅頭の試食、喜多方に移動してラーメン工場の見学と盛りだくさんの体験。
 
ラーメン工場(ふぶき亭)見学:麺の製造工程だけ】
 
酒蔵見学は何回もしていますが、ラーメン工場の見学は初めて。喜多方は蔵の街、蔵を改造した工場です。
 

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喜多方にラーメン工場は6つあるとのこと。OEM生産をしています。
 
①ミキシング(調合)工程。
小麦粉、水、食塩、かん水などを混ぜますが、かん水を混ぜなければ「うどん」になり、うどんも作っているとか。うどんとラーメンは紙一重。
 
②麺帯・熟成工程。
ミキシングされた材料を帯状にして麺帯(めんたい)を作ります。これの小さいのを「麺帯子(めんたいこ)」と言います←うそですよ。
かん水の代わりに辛子を混ぜればなにになるでしょうか?

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③圧延工程(⑤までは連続工程)。麺帯を少しずつ薄く延ばします。
④切り出し(成型)工程。切刃とよばれる裁断機で指定した太さに切断。
 

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⑤包装工程。切断された麺を一食ずつ包装。
⑥製品検査工程。金属混入、重さのチェック。

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という工程を経るそうで、元職業柄、生産管理・工程管理(生産計画、作業指示、段取替え、ロット分け、ロットトレース、歩留把握、進捗管理、在庫管理、出荷指示)、品質管理、原価管理などをどのような方法でやっているのか気になりました(笑)
 

見学後、お店に移動して「ささやかな」試食と、買い物タイム。
 

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試食は「来た方」だけの特権。

ラーメンなら何処でも買えるのでなにも買いませんでしたが。


これで被災地(福島)応援ツアーの日記は終わりです。

一泊二日でしたが、いろいろなところが見れて、いろんな体験ができて、都から補助も出て、お得なツアーでした。

2015年3月 6日 (金)

被災地(福島)応援ツアー~会津若松、飯盛山

『被災地(福島)応援ツアー』 その5【会津若松・飯盛山
 
戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が、城下の火の手を見て城が陥落したと思い込み、飯盛(いいもり)山で全員が自刃(じじん)しました。20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られることになったのです。
 
バスは飯盛山の麓の土産物屋兼食堂に駐車。
 
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昼食時間まで30分程度の自由時間。
電気紙芝居を見るか飯盛山へ登るかの二者択一。
もちろん飯盛山へ。40年前にも来たのですが、近くにある栄螺堂にも行きたかったからです。
 
白虎隊の墓への参拝には、急な石段が待ち受けています。
 

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右手側に「動く坂道・スロープコンベア」なるものがありましたが、雪の階段を登りました。10分程度ですが、きれいに除雪されていないので往生しましたが、「動く坂道」の陰謀でしょうか(笑)。

・途中にある「白虎隊記念館
 

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・白虎隊隊士の墓
 

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自刃の碑へは雪道を行きます。油断すると膝まで潜ってしまいます。
 

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自刃の碑は階段を下ったところですが、足元が悪いのでここで引き返しました。写真右手側に鶴ヶ城が望めます。
 

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参拝後、同じ階段を下ったのですが、栄螺堂が見つからない・・・
添乗員に聞いても「知らん」と言われたし・・・
 
・食事会場では余興に剣舞を舞ってくれました。 凛々しい舞でした。
 
♪みなみ~ぃいぃいい、鶴ヶ城望めば~あぁああ、烟焰ん~ん~んあがる~・・・

 
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食事後、お店のオネーさんに栄螺堂のありかを聞いたら、白虎隊の墓の右手に下る坂道の途中にあるとか。
 
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早く言ってくれよ。結局時間切れで栄螺堂に行けずじまい。
40年前の記憶とは全く違っていました。
 
栄螺(さざえ)堂
 
写真はネットから借用
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1796年に飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」。国の重要文化財。
 
内部が二重螺旋のスロープになっており、上りと下りが全く別の通路になっているのです。
レオナルド(ダ・ヴィンチ)が作ったシャンボール城の二重螺旋階段が有名ですが、これを真似たのかな?
 
大内宿のねぎそばに続いて、禍根を残してしまいましたcoldsweats01

2015年3月 5日 (木)

ドアが消える自動車

こりゃ便利だ!

2015年3月 4日 (水)

被災地(福島)応援ツアー~鶴ヶ城と荒城の月

『被災地(福島)応援ツアー』 その4【鶴ヶ城と荒城の月
 

 ♪ 春高楼の花の宴
  巡る盃かげさして
  千代の松が枝わけ出でし
  昔の光いまいずこ
 
曲はこちらを。
  
皆さんよく御存じの「荒城の月」。
哀切をおびたメロディーと格調高すぎる詩。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した日本を代表する歌曲です。

 
詩には具体的な城の名は出てきませんが、「荒城の月」の歌碑は全国に5カ所もあるのです。
 
・作詞者の土井晩翠関連
宮城県仙台市の青葉城址 <晩翠の地元>
岩手県二戸市の九戸城址
<晩翠がよく立ち寄った場所>
ここ、福島県会津若松市の鶴ヶ城址
 
 
・作曲者の滝廉太郎関連
大分県竹田市の岡城址  <廉太郎の故郷。曲を構想した場所>
富山県富山市の富山城 <廉太郎が旧富山城内の小学校に通っていた>
 
岡城のそれが有名ですが、他は知りませんでしたcoldsweats01
 
土井晩翠は「荒城の月」のモデルを明かしていなかったのですが、1946年(昭和21年)に会津高等女学校で公演したさい、「荒城の月」のモデルが会津若松城(鶴ヶ城)であることを明かしたそうなのです。
晩翠は高等学校時代に一度来たことがあるだけなのに。
 
白虎隊の哀しいイメージとは合いますが、私はリップサービスではないのかと疑っています。会津若松の皆さん、すみません<m(__)m>

2015年3月 2日 (月)

被災地(福島)応援ツアー~会津若松、鶴ヶ城

『被災地(福島)応援ツアー』 その3【会津若松・鶴ヶ城】 
 
ツアー2日目は、まず会津若松の鶴ヶ城(正式には若松城)に。60分の自由時間。
なぜ鶴ヶ城と呼ばれるのかは諸説あり不詳。
天守閣は昭和40(1965)年の再建。

・鶴ヶ城會舘のレンガの建物

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バスは鶴ヶ城會舘の駐車場に停められましたが、鶴ヶ城會舘(土産物屋)の中を通って行かないと鶴ヶ城に入れません。日光に続いてよく出来た仕組みですあっかんべー 

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・茶室になっている麟閣 
 この茶室の右手奥に「荒城の月」の歌碑があります(写真なし)

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会津は戦国時代に、葦名・伊達・蒲生・上杉・保科・松平と数多くの大名が治めた歴史があります。また、幕末戊辰戦争では旧幕府軍として最後まで抵抗したため、激しい戦場となりました。

大河ドラマ「八重の桜」で記憶に新しいところです。今でも市内のあちこちに「八重の桜」の夢の跡を見ることができます。^_^; 

・鶴ヶ城にも。ここで綾瀬はるかさんがカレンダーの撮影をしたそうです。

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ただ、戊辰戦争の際は、重い年貢に苦しめられていた領民たちは、藩主に対しては冷淡だったそうです。民は正直です。

鶴ヶ城は明治7年に石垣だけを残して取り壊されましたが、地元の寄付により1965年に天守閣が再建。2011年春には幕末時代の「赤瓦」をまとった天守閣としてリニューアル公開されました。現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守閣だそうです。


ちなみに赤瓦」は油瓦とも言われており、豪雪地帯に多い瓦だそうです。
  
・天守閣登城は有料。
 
40年ぶり2度目の登城です。
丁度天守閣内部の工事中で展示物が見れないので、入場料が半額の200円。得したワイ(笑)。
 
遠くからだと「赤瓦」はよくわかりませんが、近くから見ると赤っぽいですね。
 
・天守閣最上階から
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この後、宮泉酒造で酒蔵見学とちょっとだけ試飲をしてから飯盛山へ。

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