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2015年3月22日 (日)

深川〜千住ウォーキング〜その5 【奥の細道・千住論争】

【3.11 深川〜千住ウォーキング】〜その5【奥の細道・千住論争】 
 
松尾芭蕉は深川から舟に乗り"千住"に上陸し、「矢立の初」として"千住"で句を詠んでます。

行く春や 鳥啼き魚の 目は泪

"千住"からいよいよ陸路による「奥の細道」への旅立ちですが、数年前から足立区と荒川区による論争が起っています。

"千住"には隅田川を挟んで旧江戸府内の「荒川区の南千住」旧武蔵国の「足立区の北千住」があります。両者をつなぐのが千住大橋。

Photo

芭蕉は今でいう「南千住」と「北千住」、どちら側から出発したのか、という論争です。

「北千住」の言い分。

「千住」とは「千住宿」のことで、現在の北千住のことである。南千住は江戸府内であるから「宿場」ではなかった。また、当時の「船着き場」は北千住側にあった。であるから、芭蕉一行は北千住側に上陸し、そのまま「日光街道」へ旅立ったのである。

「南千住」の言い分。

南千住は「江戸」だが北千住は「江戸」ではなく「武蔵の国」。芭蕉は江戸を出て、みちのくへ旅立ったのだから、南千住側に上陸し、千住大橋を渡ってから旅立ったのである。

言うだけなら何でも言えます、それでは物的証拠(史跡)はどうか

◆北千住には矢立て初めの碑や芭蕉像があり、奥の細道テラスなるものもあります。しかし、これらは最近作られたものであり、江戸時代から残っている「芭蕉の史跡」はありません。

・千住大橋の北千住側にある奥の細道テラス

Dscf8051
  

・千住大橋の北千住側の矢立初めの碑
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・北千住側にある芭蕉像
Dscf8057
 
 
◆対して、南千住の「素戔嗚神社」には、江戸時代の文政2(1820)年に「芭蕉句碑」が建てられ、「奥の細道の千住の章」の文章が刻まれています。

 
・素戔嗚神社
Dscf8032
 
・素戔嗚神社境内にある隅田川と大橋の模型。芭蕉は南千住側に居ます。
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 芭蕉の独り言
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・「芭蕉句碑」←南千住論の大きな証拠
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◆第三者的に見ればどちらでもいい論争で、答えは出ないと思いますが、本気でバトルをしているというよりも、論争を演出して「街おこし」に上手く利用してる感じがしないこともないですね。
  
O塚家具も論争により株価が上がっていますし、関係ないか・・・
 
◆私の考え
「奥の細道」と、同行した曾良の「旅日記」には日付の違いが見られますが、3月20日に深川から舟に乗り同日に"千住"に到着。千住に6日間滞在した後の3月27日に"千住"を出発した、のが定説になっているようです。
 
「奥の細道」では、「千住というところで舟をあがり」と記載されているので、上陸地点は北千住側でしょう。旅立ちの儀式としては江戸府内から千住大橋を渡って出発した方が様になるので、出発地点は南千住と言う事で両者痛み分けの引き分けとしましょう(笑)

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