フランス旅行

2012年7月12日 (木)

フランス旅行~⑦ジャンヌ・ダルク火刑の地、ルーアン

順不同のフランス旅行の7回目は、ジャンヌ・ダルク火刑の地、ルーアン Rouen。

2012年6月19日(火) 朝、モン・サン・ミッシェルを出て、ブーヴロン村でシードルの試飲をした後に訪問。昼食を含めて2時間30分の滞在。


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パリの西方130キロにあるルーアンは、ノルマンディー公国の首都として栄え、ノルマンディー独特の木組みの家が多く、セーヌ河を利用した水運の拠点として発展した。また、ジャンヌ・ダルクが処刑された街として知られている。


◆ ノートル・ダム大聖堂(ルーアン大聖堂)

1063年の創建から数世紀にわたって建築が進められた。
19世紀に完成した尖塔は高さ151メートルあり、フランスで最も高い。

大きすぎてカメラに収まりきれない。

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ファサードは後期ゴシック様式で、画家クロード=モネの連作「ルーアン大聖堂」で広く知られる。
例によって修復工事中で全体が見れないのが残念。

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art モネの「ルーアン大聖堂・朝」

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当時の批評家から「溶けかかったアイスクリーム」と揶揄されたが、その指摘は正しいhappy01

・フォトレタッチ・ソフトで、モネ風にアレンジしたルーアン大聖堂。もっと溶かさないといけないなあ。

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・堂内のステンドグラス

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ちなみにノートル・ダムとは Notre-Dame = 我らの婦人 = 聖母マリア のこと。
私はてっきりパリの地名かと思っていたが、フランスにノートル・ダム聖堂が多いのでおかしいな、と思っておったのじゃよ・・・おお恥ずかしや bearing


◆ルーアンの街並み

・古い木組みの家が並ぶ大時計通り

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大時計

 ゴシック建築の鐘楼とルネッサンス建築のアーチを組み合わせた16世紀の建物。

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旧市街広場

木組みの家とジャンヌ・ダルク教会が取り囲む旧市街広場

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ジャンヌ・ダルク教会

15世紀の百年戦争でフランスの勝利に寄与したジャンヌ・ダルクを祀る教会。1979年、ジャンヌ・ダルク通りにあった聖ヴァンサン教会に代わるものとして建てられた。火刑に処された旧市場広場にある。
近代的な外観は、逆さにした船と海をイメージしたとか。

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 教会内部に入って、ステンドグラスの美しさにしばし唖然。
 内部のステンドグラスは、聖ヴァンサン教会から移されたもので、非常に明るく美しい。

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 確かに天井は船底のよう。

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 魚の明り取りが面白い。

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 ジャンヌ・ダルク処刑地跡。

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 処刑地跡に立つ十字架。

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 ちょっとオトメチックなジャンヌ・ダルク像

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なにせ複雑怪奇なヨーロッパ史とキリスト教。
ジャンヌ・ダルクについては各自お調べを(笑)。

Wikiに「火刑」についての興味ある記事があったので紹介する。

~以下、Wikiより転載  後半に残酷な描写がありますので、嫌な方は読まないでください。

火刑は中世ヨーロッパのキリスト教的世界に於いて、処刑される者にとっても最も苛烈な刑罰だった。その残虐な刑罰方法もさることながら、重要なのは死体が灰になってしまうという点にある。
当時の埋葬方法は土葬が基本だった。キリスト教のカトリックであれば誰もが死後には土葬を望んだのである。その理由というのは、遺体が燃やされて灰になってしまっては最後の審判の際に復活すべき体がなくなってしまうから、という宗教的なものだった。
火刑は肉体的・身体的な恐怖感のみならず、精神的・宗教的な絶望感をも与えたのである。近代に入り、欧米でも国によっては火葬は公衆衛生学的な視点から伝染病対策などとして積極的に勧められるようになったが、熱心なキリスト教の信者たちは火葬に対して強い抵抗を感じていた。
 
点火されるまでのジャンヌは「神様、神様」と泣き叫んでいたが、火の勢いが強くなると「全てを委ねます」といって無反応になったと記録されている。
炎の中、ジャンヌが高温と煙で窒息死し、その服が燃えた時点で一旦火は遠ざけられた。群衆に向けてその裸体、性器を晒し、ジャンヌが聖女でも両性具有と思われていた魔女でもなく、ただの女性に過ぎないと示すためであった。ジャンヌは死してなお、性器を晒されるという女性としての屈辱も受けたのである。その後約4時間をかけて燃やされたジャンヌの亡骸の灰は、セーヌ川に流された。
このように灰さえも残さず決して土に返さないという遺体の取り扱いに於いても、ジャンヌが受けた取り扱いは当時としては最も苛烈なものだった。

~転載終わり


ルーアン旧市街には古い家が残り、ジャンヌ・ダルクゆかりの見所も多いので、パリからの日帰り旅行で訪れるとよいであろう。


restaurant 昼食

旧市街広場沿いのレストランで昼食。

・前菜

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・メインは、ノルマンディー名産のムール貝
 
 量は多そうだが、殻ばかりなので大したことはない。

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 ムール貝は、ムール貝の殻ではさんで食べるのが2(通)

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 付け合せは定番のポテトフライ

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 デザートのチョコレート・ムース
 男には手強かったが、コーンカップも含めて完食!

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この後、ジヴェルニーを見た後に、花の都パリへ向かう

2012年7月 4日 (水)

フランス旅行~⑥ノルマンディーの小さな村ブーヴロン

順不同のフランス旅行の6回目は、「フランスの最も美しい村」協会認定のノルマンディー、オージュ地方にある、ブーヴロン・アン・オージュ(Beuvron-en-Auge)。ちなみに「フランスの最も美しい村」は、現在153あるとか。

第二次世界大戦でのノルマンディー上陸作戦で激戦地となったカーンの近く。

2012年6月19日(火) 朝、モン・サン・ミッシェルを出て、1時間50分ほどで到着。

「シードル街道」の案内板も見える。

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30分も歩けば一周できてしまうほど小さな村で人口はたったの230人。周囲はりんご畑(みどりのりんごが多い)とのどかな牧草地が続いている。
パリからのモン・サン・ミッシェル日帰りツアーに組み込まれているので行かれた方もいるかと思う。

通りの両側には、何百年もの風雨に耐えたノルマンディー地方独特のコロンバージュ(木骨組み)の民家が並び、メルヘンたっぷりのかわいらしい村。この後訪れたルーアンも木組みの家で有名だが、ルーアンは移築されたもので、こちらは昔からそのままある歴史的な家である。

花が美しく飾られている。

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赤い木組みは牛の地が混ぜられているとか。

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こんな田舎にミシュランの一つ星レストラン、ル・パヴェ・ドージュ(Le Pavé d’Auge)がある。

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apple このあたりは、ぶどうよりもリンゴの栽培が盛んなので、「シードル」と呼ばれるリンゴ酒が名物。「シードル Cider」とは、林檎を発酵させて造られるアルコール飲料で、発泡性であることが多い。一口で言えば、アルコール入りりんごサイダー。


◆ 村の観光案内所のようなところで「シードル」の試飲。

日本語になっているサイダーの語源はシードル。

シャンペンと同じようにコルクが空を飛ぶdash

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皆黙って試飲。この時ばかりはシーン
ちょっと酸味のある爽やかな後味で、いくらでも飲めそう。

「シードル」を蒸留したのが「カルバドス」。りんごの「ブランデー」。「カルバドス」は試飲しなかったので、お土産にミニチュア瓶をお持ち帰り。


◆ パン屋。

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この店で人気のりんごのお菓子「ブーヴロン」(3ユーロ)を食す。
かなりデカイ。クレープの中にりんごやクリームが入っている。甘かった。

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◆ 雑貨店もしゃれており、小物が充実している。

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レジ横に木組みの家を模したマグネットがあったのでつい購入してしまった。
マグネットは記念になるし、安くて小さいのでお土産には最適である。

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◆ 骨董店も多い。昔のものを大切にしているのであろう。

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りんごはホンモノ?
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人の手と心で作られる温もりが、村づくりにも物づくりにも生きていることがよくわかる。
歴史の中に流れる時間とクオリティーを実感させてくれる村であった。

たった45分間の滞在の後、ルーアンに向かう。


pencil ちょっと歴史のお勉強。

ノルマンディーとは『北の人間の土地』(pays des hommes du Nord)を意味する。
ノルマン人(Normanean)は、スカンディナヴィアおよびバルト海沿岸に原住した北方系ゲルマン人。初期の時点では「ヴァイキング」という概念とほぼ同じ。

911年ノルマン人の首長ロロが西フランク国王シャルル3世よりノルマンディー地方を譲り受けてノルマンディー公国を建国。シャルル3世としては海賊として暴れられるより、土地を与えてしまった方が楽だと思ったのであろう。

1066年ノルマンディー公ギョーム(英語読みはウィリアム)2世はヘイスティングズの戦いでイングランド国王ハロルド2世を撃破してイングランド王についた。

乱暴な言い方ではあるが、現在のイギリス王室(ウィンザー朝)の先祖は、その後の王位継承で血はかなり薄くなっているとはいえ、フランス、ノルマンディー地方にいたノルマン人ということになる。

ヨーロッパ史は複雑怪奇である。

2012年7月 1日 (日)

フランス旅行~⑤ジヴェルニーの「モネの庭」

順不同のフランス旅行の5回目は、ジヴェルニーにある「モネの庭」

2012年6月19日(火) 朝、モン・サン・ミッシェルを出て、ブヴロン・アン・オージュ、ルーアンを経て15時過ぎにジヴェルニーに到着。予定では90分の滞在であったが、時間が押していたので70分の滞在。時間が短すぎるぞ punch

ジヴェルニー(Giverny)はセーヌ川の右岸に位置し、パリから西方約80キロ地点にある。


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ジヴェルニーには印象派の巨匠クロード・モネが1883年から亡くなる1926年までの43年間住んだ家がある。死後、息子によって美術アカデミーに寄贈され、大規模な修復工事を経て、1980年にクロード・モネ財団として開館した。


「モネの庭」見取り図。 旅行案内書をスキャン。

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モネの家がある「花の庭」と、道路を挟んだ反対側にある「水の庭」(地下通路で結ばれている)の2つに分かれている。


彼は43歳からちょうど生涯の半分をこの庭とアトリエのある邸宅で過ごし、創作以外のほとんどの時間を庭仕事にあてていたといわれている。理想的な生き方かもしれない。

・団体入口

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◆水の庭

« 私は自分の睡蓮を理解するために時を過ごしました。それらを描くことも考えないで育てたのです。風景はたった一日でなしえることはない。そしてある日突然、私は池の魔法にかかったようにある発見に導かれたのです。そしてパレットをとり、それ以来、池以外を描くことはありませんでした。»  
クロード・モネの言葉

モネは何年もかかって役所の許可を得て池を作った。ちょうどモネの重要なテーマのひとつである睡蓮も咲いていた。

ゆっくり立ち止まって写真を撮れないほどの混雑。

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しだれ柳

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藤棚のある緑色に塗られたタイコ橋。

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当たり前だが、まさにモネが描く「睡蓮」の世界。

後日、オランジュリー美術館で見た「睡蓮」の絵の世界そのものである。


◆モネの庭

もうひとつの見どころは花が咲き乱れる庭園。雑然と花があるので統一感は無いが、モネの時代もそうなっていたのだろう。今は誰が管理監督しているのだろうか。

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花のアーチ

モネはここを通って「水の庭」に行ったのだろう。
内部には入れない。バラの季節が終わったからだろうか、アーチに花が少なく、ちょっと寂しい。

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モネの家

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内部が公開されているが撮影禁止。

想像していたのよりはるかに多くの浮世絵が飾られており、モネがいかに浮世絵に傾倒していたかがわかる。部屋の内装は、どれもパステル系の薄い色に塗装されていて、とても明るい雰囲気。

 2階から庭を眺める

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・睡蓮の連作を手がけた第3アトリエ(今は売店)

睡蓮の連作を手がけたアトリエが売店になっている。「睡蓮」のレプリカが飾られていた。
モネの作品の本や写真はもちろん、傘や時計、その他小物までさまざまなモネに関するものが売られている。

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・出入口

個人客はここから出入りする。団体客はここが出口。

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冬は閉鎖されているが、春・夏・秋と季節により庭を彩る花々も変わってくるので、訪れる時期によって印象が変わってくるだろう。庭をじっくり見てまわりたいなら、バスツアーより個人で行った方がよい。庭はそんなに広くはないが花の季節は大変混んでいる。ジヴェルニー村にはモネの墓もあるので、パリから一日かけてゆっくり散策するのも楽しいだろうなあ。


◆日本の「モネの庭」

フランスまで行くのはどうも、と言われる方は、高知県にもモネの庭がある。
高知県は日本で唯一の未踏の県。フランスより遠いかもしれない happy01

北川村 モネの庭 マルモッタン

2012年6月29日 (金)

フランス旅行~④オペラ座の不思議

順不同のフランス旅行の4回目は、引き続きオペラ座ネタで申し訳ない。

歴史あるオペラ座には数多くの不思議がある。


①座席番号の怪

私の座席は1階オーケストラ席 335番 Orchestre - Place 335
座席番号プレートも風情がある。

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335といっても3列目35番の席ではない。
劇場で一般的な列、番号での表示(9列15番など)ではなく単純連番。それも舞台に向かって中央通路から左手が奇数番号、右手が偶数番号。これはパリ市内の番地の付け方と同じにしているからであろう。
座席番号だけではどのあたりの席なのか皆目見当が付かない。並び席でも連続番号ではない。なんとかせいオペラ座!

ということでネットで見つけたのがこのサイト

興味がある方は、335番がどのあたりの席なのかをこのサイトで確認するように。ちなみに妻の席は352番。

係員はどこに何番の席があるのか暗記しているようで、すぐ席まで案内してくれた。やはりプロである。


②なんと補助席がある!

 ①の写真で335番の席の後に補助席が見える。

通路側の席には観光バスの補助席と同じような折りたたみ式の補助席がついており、席番号がSxxxとなっている。
当然料金はワンランク安い。通常席の観客が全員座らないと補助席が使えないので、それまでは立ちんぼう。
すべての補助席が使われると通路がなくなってしまい、上演中に退席する事が非常に困難である。トイレはかならず事前にすませるように。


③ボックス席にはどうやって入る?

ボックス席のドアにはドアノブがない。

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ボックス席に入るには、廊下にいる案内嬢にチケットを見せると案内嬢が当該ボックス席のドアノブ部分に取り外しドアノブを差し込んでドアを開けてくれる。よって不正進入が出来ない。勿論、中にはドアノブがあるので中からは外に出られる。

休憩時間中に開いているドアがあったので、ボックス席に入って写真を撮ることが出来た。


④元の天井画

シャガールの天井画の前の天井画(つまりオリジナル)はこれ。

※BS171の番組よりキャプチャ
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ジュール・ルヌヴ作「女神たちと昼と夜の時間」。
今でもシャガールの内側に残っているそうである。シャガールもいいが、私はこの天井画のほうが似合っていると思うが、さて皆さんは?

・現在のシャガールの天井画
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⑤天井画はどこにある?

※BS171の番組よりオルセー美術館にあるオペラ座の断面図をキャプチャ
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中央の金色部分が客席。全体に比べると何と小さいことか!

私はてっきり外から見える緑色の丸屋根(クーポラ)の内側だと思っていたが、そのまた内側であった。クーポラの内側はバレエ団員の練習所になっている。

※BS171の番組よりキャプチャ
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⑥オペラ座の怪人の席はどこ?

ファントムが指定した席は 1esê Loge de Côtê N-5

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ボックス席も舞台に向かって左側が奇数番号なので、2階の舞台際から数えて3番目の席が5番ボックス席になる。

オペラ座の建設中にセーヌ川による地下水脈にあたったりして工事は難航。地下水は貯水湖として残され、それが「地下には怪人が住んでいるらしい」という伝説の元となったらしい。実際、建設中の幽霊話や陰惨な事件などもあったという。

 ③の写真はN-5の入口のドアである。

ちなみに1番ボックス席はナポレオン3世用に作られた席だが、オペラ座建設に手間取り、ナポレオン3世の死から5年後に完成したので彼自身がこのボックス席に座ることはなかった。


⑦オペラ座の蜂蜜

オペラ座売店には、夏になると蜂蜜が売られている。(私は見過ごしてしまった)
なんと、オペラ座の裏側の屋上では蜂が飼われているのである。

・ギャラリー・ラファイエットの屋上から眺めたオペラ座の後姿。
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※BS171の番組よりキャプチャ
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元オペラ座職員のJean PAUCTON氏が自宅で飼っていた蜂をオペラ座の屋上で飼い始めたのが始まり。チュイルリー公園やモンソー公園の花から集められた蜜だそうで、世界一高価な蜂蜜としても有名。125gで15ユーロ。1キロ換算すると120ユーロ!さぞや甘美な味がするのであろう。


オペラ座は華やかなだけでなく話題も豊富である。

フランス旅行~③オペラ座でバレエ鑑賞

順不同のフランス旅行の3回目は、オペラ座でパレエ鑑賞

2012年6月20日(水)はパリ市内観光。

17時にホテルで解散後は自由行動なので、一応恥ずかしくない程度に着替えてオペラ座に向かう。オペラ座までは徒歩10分。

チケットは事前にネットで申し込み、チケット(バーコード付き)も印刷済み。チケット交換の手間が不要なのでラクチンである。

・堂々たるオペラ座正面

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・屋根の上の竪琴を持ったアポロン像。アポロンは予言と牧畜、音楽(竪琴)、弓矢の神。

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・正面にはベートーヴェンやモーツァルなどの音楽家の像が並ぶ。

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単に「オペラ座」といえば、このパリのオペラ座(ガルニエ宮)をさすほどのオペラ(今はバレエが主)の殿堂。「オペラ座の怪人」もこのオペラ座が舞台。

ナポレオン3世とセーヌ県知事オスマンによるパリ市街区再構築計画の一環として1875年に完成。この劇場は設計者の名から「ガルニエ宮」と呼ばれる。

1989年にオペラ・バスティーユ(バスティーユ・オペラ座、新オペラ座)が新たに完成し、「バスティーユ」では主にオペラ公演が行われ、「ガルニエ宮」では主にバレエ公演が行われる。


◆ホール

正面玄関からいよいよオペラ座の中に。大階段が見える。

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・2階から豪華な大階段を眺める

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・大階段の天井

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・2階のグラン・フォワイエ(大ロビー)。

 これはただものではない。ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」も真っ青の豪華さ。

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グラン・フォワイエの天井。 声が出ない。

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・設計者 シャルル・ガルニエの胸像
 財政的にパリ市と対立し1875年の完成式典には呼ばれなかったそうだ。

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・2階ロッジア(開廊)よりオペラ通りを眺める。
 パリ市街区再構築でオペラ座がよく見えるように作られた大通り。

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◆客席

観客は基本的に指定された席のエリアしか入ることが出来ない。一階の各エリア内部には係員がおり、チケットを提示する必要がある。このため、劇場の写真を撮るのが目的なら昼間の見学の時に来た方がよい。見学時には見れても公演時には見れない場所もある。

一階席はオーケストラ席(Orchestre)と後方に一段高いバルコニー席(Balcon)がある。
私たちは席が離れているが同じオーケストラ席なので、同じ入口かと思ったら、私は中央のOrchestreと書かれた入口から入るように言われた。妻は舞台に向かって右側の席だったのでこの右側の入口から入るように言われた。バルコニー席も複数の入口がある。これは面倒。

・Orchestre席中央入口。 バルコニー席の下をくぐって入る。

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シャガールの天井画

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ど真ん中にファントムが壊した(笑)大シャンデリアが見える。下から見上げているのでシャンデリアかどうか見分けが付かないが・・・

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オペラ座といえば、シャガールと言われるほど有名だが、これは完成当時に描かれたのではない。シャガールが生まれたのは1887年でオペラ座完成よりも後。シャガールによるこの天井画は1964年に完成した。以前の天井画はこの内側に今でも残っている。TVで見たことがあるが、私的には以前の地味な天井画のほうがこの劇場の色合いにあっていると思うのだが。

・深紅の緞帳

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・客席正面

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・席はキツキツ。
ヴィーンでもそうであったが、古い劇場の席は横幅はあるものの前の席との間隔が狭い。
小柄な私でも立ち上がらないと奥の席の人が通れない。

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・2階ボックス席入口
 6~8人が入るボックス席へのドアが見える。
 ドアから座席までの間は通路になっておりコートが掛けられるスペースになっている。

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・2階ボックス席からの舞台。
 休憩時間中にボックス席に忍び込んで撮影。
 椅子は固定されていない。最前列は舞台が見やすいが、後だと見難いだろうなあ。

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◆バレエ

※当日購入したパンフレット

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肝心のバレエであるが、当日の演目は『ラ・フィユ・マル・ガルデ』 (仏: La Fille mal gardée, 「下手に見張られた娘」の意)。 邦題は『リーズの結婚』。昨日がプレミア公演。

今まで見たことがなかったバレエだったので、ロイヤル・バレエのDVDを購入して事前学習しておいた。

現存する古典作品としては、「ジゼル」と並び最古のバレエ作品とされる。1798年の最初の演出は失われているが、現在ではエロルドが1828年に作曲した楽譜を編曲したものを元にアシュトンが振付した英国ロイヤル・バレエ団の作品が最も有名で、世界各国で上演され、日本でも牧阿佐美バレエ団がレパートリーとしている。今回もそのアシュトン版での上演。

コミック・バレエというのだろうか、ヒロイン(リーズ)の母親を男性が演じたり、「木靴の踊り」や「鶏の踊り」などがあり、退屈しないバレエである。

・カーテンコール

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暗黙的にカーテンコールの写真撮影は許されるということで撮影。
上演中にフラッシュ撮影している輩がいたが、出て行って欲しいdash

オペラだと予習が大変であるが、バレエなら粗筋さえ知っていればこっちもの。

この公演は最上席で75ユーロ(約7500円)。この価格でオペラ座で世界最高峰のオペラ座バレエ団を観れるのだから安いものである。


movie ロイヤル・バレエ「リーズの結婚」(アシュトン版)~冒頭部分。
「鶏の踊り」が面白い。コケコッコならぬコッケイな踊り。

次回はオペラ座の怪。

2012年6月26日 (火)

フランス旅行~②モン・サン・ミッシェルの昼食

2012年6月18日
restaurant モン・サン・ミッシェルでは、修道院の内部見学の前に、このあたりの名物3点セットの昼食。

・王の門の手前左側にある、1888年創設のレストラン&ホテル「ラ・メール・プーラール

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ここのオムレツは有名。
創設者のプーラールおばさんは、いつ何人到着するか分らない巡礼者のために、シンプルな材料ですぐ出せるオムレツを考案。泡立てた卵を薪で焼き上げる方法は今も受け継がれている。

お伊勢参りの「伊勢うどん」と同じ発想なのだろう。

・オムレツを釜で焼くお姐さん
 TVで見たお姐さんと同じだ!

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・2階のレストランへの入口受付にいた美人
 ボンジュール、と挨拶したら返事をしてくれた。
 概してフランス人はこちらが挨拶すれば快く挨拶をしてくれる。当然といえば当然だが・・・

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・店内には有名人のサインでいっぱい。
 日本のローカル観光地のよう。

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・暑かったので地ビールを注文
 色がやや濃く、アルコール度数は5%とちょっと強め。

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・前菜として出てきた名物オムレツ

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 私好みの焼具合。これは日本人ツアー客向けなので半人前。モン・サン・ミッシェルの空気がたっぷり入っているのでフワフワ。時間がたつとしぼんでしまうのかな?

 このオムレツを「美味しい」と言っている人に出合ったことがなかったので期待していなかったが、まずくはない。これはツアー客全員の意見。やはり感動=期待値と実際との差、ということを実感した。


・メインの「プレサレ Pre-Sale」 仔羊のロースト。

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プレ・サレ(「プレ」=前もって、「サレ」=塩)とはモン・サン・ミッシェル湾と西コタンタン半島沿いに点在する浜辺の低湿地帯の呼び名。年に数回の大潮で水没するため、耐塩製の強い植物しか生えず、その草を食べて育った仔羊は、潮の香りが独特の風味をもたらすそうで、同じプレ・サレの名前で呼ばれている。

軽めの塩味(自然の味なのだろうか)で、クセがなく柔らかくてジューシー。これはけっこういける。


・デザートのタルトタタン

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タルトタタンの謂れは、ネットによると、
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19世紀後半、パリ南方、オルレアン近くのラモット・ブーヴロンに、タタンという名の姉妹が小さなホテルを経営していた。ある時、りんごのタルトを作っていて、焼く時にうっかり間違え、型の中にりんご、砂糖、バターだけを入れて焼いてしまい、仕方なく、途中で上から生地をかぶせてみたら、意外にも、底にたまった砂糖がキャラメル状になってりんごに染み込み、なんとも香ばしいすてきな味になっていた。
それ以来、このお菓子は、最初からそのようにして焼くようになり、タタン姉妹のタルトということで、タルト・タタンと呼ばれるようになった。

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誤って作ったものが美味しかったということはよくある話である。

しかしかなりすっぱいリンゴだった。


ツアーの食事というと美味しくないのが当たり前だが、今回の昼食は当たりだった。「食」に貪欲ではなく、注文するのが面倒な私にとってはおまかせ食事は好都合である。

フランス旅行~①モン・サン・ミッシェル

6/14~6/22のフランス旅行の日記です。

ツアーの日程順ではなく、思いついた場所から書きますので時系列にはなっていません。


①モン・サン・ミッシェル

日本人が行きたい世界遺産で堂々の2位のモン・サン・ミッシェル。
ちなみに1位はペルーのマチュピチュ。

このツアーではモン・サン・ミッシェルの対岸のホテルに宿泊。
パリからの日帰りツアーで訪れる人が多いが、夕景や朝の風景を見るには一泊するに限る。

周囲950mの岩山に建てられた修道院、Mont St-Michel。
Mont=山、St-Michel=聖ミカエル(ミッシェル、マイケル)。聖ミカエルの山という意。
8世紀に大天使聖ミカエルの夢のお告げによって建てられ、巡礼の聖地となった。

2012年6月18日(日)、朝8時にロワールを出発。12時30分頃、ようやくバスの車窓からモン・サン・ミッシェルが姿を現した。

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バス車内からはやんやの喝采が。
ピラミッドや富士山が初めて見えた時の感動と同じである。


◆景観を守るためのプロジェクトが始動

モン・サン・ミッシェルと陸地を結ぶ堤防が完成したのは1877年。誰もが安全に島に渡れるようになった反面、周囲に大量の砂が堆積し、島が完全に海に囲まれることも稀になった。
そこでフランス政府はかつての環境を取り戻す計画を発表し、実行に移されている。
土砂を取り除き、堤防が取り壊されて橋が架けられる。2015年に完成すると、潮の流れを妨げるのは何もなくなり、往時の姿が復元される。

まだ橋は出来ていないが、今年の4月から島へのアクセス方法が変更になり、島から2.5Kmのところの駐車場に車を置き、環境に優しいシャトルバスに乗り換えて島に向かう。

シャトルバス乗り場。この右手に大駐車場がある。 

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シャトルバス乗り場からモン・サン・ミッシェルを望む

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◆いよいよモン・サン・ミッシェル修道院へ

シャトルバスを降りると眼前にドド~ンとモン・サン・ミッシェルが。まるで本物の山のよう。
尖塔までの高さは約150m。クフ王のピタミッドとほぼ同じ高さ。
このあたりは以前は駐車場になっていた。

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・はね橋がある王の門。左手にオムレツで有名な「ラ・メール・プーラール」

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・グランド・リュ(大通り)という小路には店がひしめいている

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・城壁の上から堤防と対岸を眺める
 以前は堤防上が駐車場になっていた。

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◆修道院内部

まずグランド・リュから50段の階段を登って哨兵の門にあがり、さらに90段の階段を登ると西のテラスにたどり着く。結構疲れる。

西のテラス

 修道院付属教会の西にあるテラスからの眺めは雄大。砂州が広がる。

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 ガブリエルの塔を見下ろす

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・修道院付属の教会

 素朴なステンドグラス

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 祭壇にある聖ミカエルの小像。

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ラ・メルヴェイユ(驚異)棟最上階にある修道院の憩いと瞑想の場所。
 美しい列柱廊。

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・修道僧の納骨堂

 大きな車輪がある通路。

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 この車輪の中に6人の囚人が入り、壁のレールに沿った荷車を人力で動かすもの

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聖エティエンヌ礼拝堂。 死者のために設置されたチャペル

 十字架に永遠を表す「AΩ(AZ)」の文字が

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 ピエタ像(キリストの頭部は失われている)

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・騎士の間

 修道士たちが写本や彩色を行った仕事部屋。オブジェが飾られている。

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・修道院の出口にある尖塔を飾る聖ミカエルの像のレプリカ

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 流し目のイケメンですなあ・・・

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 尖塔の聖ミカエル像。 現在の像はヘリコプターで取り付けられた

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・城壁の上からの修道院

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◆モン・サン・ミッシェルの夕景と朝焼け

夕景

 これで22時12分。まだ明るくてライトアップもされていない

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 ようやくライトアップが始まる

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 ホテル近くから撮影

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 朝もや。工事機器がじゃま・・・

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 朝焼け

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 モン・サン・ミッシェルに一番近いホテル、ルレ・サン・ミッシェル。
 お高い上に予約が取れにくいが、全室モン・サン・ミッシェル・ビューとのこと。

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◆宿泊ホテル。ホテル・ドゥ・ラ・ディーグ。

シャトルバス乗り場の目の前にあるホテル。ルレ・サン・ミッシェルの向かい側。
対岸のホテルでは、モン・サン・ミッシェルに2番目に近いホテルだが設備は簡素。エアコンなし。
すぐ近くにスーパーもあるので便利。

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部屋のベランダから身を乗り出せばモン・サン・ミッシェルが見える。
ただしモン・サン・ミッシェルが見える部屋はほんの一部。

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2階のレストランからの眺めは最高

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ロワールを出発したときは雨雲が垂れ込めていたが、モン・サン・ミッシェルに着いた時は快晴に! 晴れ男の面目躍如。

モン・サン・ミッシェルの対岸に宿泊したので、朝晩の姿を拝めることが出来た。日帰りで来るのは勿体無い。宿泊するなら島内よりも、姿が拝める対岸がお勧め。
エアコンがないホテルが多いので真夏の宿泊はやめたほうがよい。当日も西陽がガンガン照りつけて室内が暑かった。網戸がないので虫が入ってきて窓を開けるわけにはいかないので辛い。

次回は名物オムレツの昼食。

2012年6月24日 (日)

フランスに行ってきました

7泊9日でフランスに行って来ました。
お気軽ツアーです。

フランス西北部のイル・ド・フランス、ロワール、ノルマンディーの見所をめぐる、おフランス初心者コース。

6/14 JAL直行便でパリ。その後ベルサイユへ。ベルサイユ連泊。

6/15 終日ベルサイユ宮殿観光。

6/16 マルメゾン、シャルトルを経由してロワール地方のシャトーホテルに連泊。

6/17 終日ロワール古城巡り

6/18 モン・サン・ミッシェル観光。対岸に宿泊。
 部屋からモン・サン・ミッシェルが見えました。

6/19 シードル街道(ブヴロン・アン・オージュ)、ルーアン、ジベルニーを経由してパリに連泊。

6/20 16時までパリ市内観光
 ノートルダム寺院、ルーブル美術館(超特急2時間)、モンマルトル、エッフェル塔眺望、あとは車窓。
 自由行動でオペラ座ガルニエでバレエ(リーズの結婚)鑑賞。

6/21 15時15分まで自由行動。JAL直行便で帰国。
 オランジュリー美術館を出た後にアクシデントが・・・weep

6/22 14時30分成田着。
 エコノミークラスの後部になでしこジャパンの選手が乗っていました。
 澤選手はビジネスでしたが、他の選手はエコノミー。可哀想。

旅日記はぼちぼち書くことにします。

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